弁膜症患者の日記

僧帽弁閉鎖不全症(前尖の逸脱症) を治療する過程

心臓弁膜症になった

2019年11月のある日の深夜のこと。

突然、動悸が断続的におきて、驚きのあまり、ガッと椅子から立ち上がった。

心臓から今まで聞いたことない音がして超絶焦った。

心臓のバクバク感が止まらず、今から死ぬのではないかと思った。

怖くなって救急外来に。

その日は何も見つからず帰宅。

 

しかしその日を堺に心音のノイズとバクバク感が常にするようになった。動悸の頻度も格段にあがった。

そしてちょっとした散歩でも息切れと心臓バクバクで立ち止まってしまう。

 

2週間後エコー検査。弁膜症の疑いがあると言われた。

 

帰宅後、この病気について軽くググると、手術が必要とはいえ治療法が確立しているとのことで、そこまで落ち込まなかった。

外科的な病気ということはケガと同じで、心臓の弁さえ直せばまた元通りの生活が戻るという印象。そして、がん患者などと違って吐き気と闘うとかそういう苦痛もなさそうだと思った。

この時点では、そこまで深刻な病気だと思っていなかった。

 

しかし、よくよく調べてみると、障害者第一級とか死亡率とか、強烈なワードが出てくる。血の気が引いてきた。

手術に成功してもその後の余命の長さにかなり影響を与えるような数値もでてきて、いよいよ言葉にならない絶望感が沸き起こってきた。

80歳までは生きたいと思っていたが、どうやら60歳くらいまで生きられればいいほうなのかもしれない。。

 

 

それ以上は調べるのがキツくなった。

その日は、気が滅入ってしまってなかなか寝付けなかった。

眠りにつく時、自分のおかしくなった心臓の音が聞こえてくる。健常者だったころよりも強く鳴り響く心臓の音が邪魔してなかなか眠りにつけない。

 

一体自分の何が悪かったのか、ベットの中で考え込む。

しかし考えても何も答えは見つからない。

弁膜症は医学的に原因不明。自分の生活習慣が原因ならまだ納得はいくが、そこまで特殊な生活をしていたということはない。

宝くじの当選確率みたいにウルトラレアな病気が、なぜよりによって自分に・・・。

 

納得のいく理由が見つからないので、次第にオカルト的な妄想が始まった。

自分は昔からシミュレーション仮説という世界観を信じており、そういう世界観を前提とする神の存在は信じている方だった。

 

もし神がいたとして、自分は排除すべき存在なら、弁膜症などという中途半端なことやらずに心臓発作とかで殺していただろう。ということは、少なくとも直ぐに排除すべき存在ではなく、何かの意図があるのではないか。私は何か神の禁忌に触れようとしているのか・・・!?

そんな中二めいた推測も真面目にやっていた。

 

そういえば、2年ほど前に会社を辞めて、最初は夢や目標に向かって生産的な活動をしていた。しかし最近はダラダラした生活が極まっていた。

それが原因なのか!?

わかった。では約束しよう。完治すればそれらの活動を真面目に再開すると。

 

しかし、そんなオカルトな妄想をせずとも、手術が終わって元の生活が戻れば、残りの人生の密度はこれまでの数倍に跳ね上がると思う。

それほど、これまでの人生で、自分の残りの命について真剣に考えたことがなかったということだ。

 

だから、一概に病気になって寿命が縮んだことが悪いとは言い切れないかもしれない。一生病気にならなかった場合、堕落した生活が続いて、そのまま山も谷もない人生を送り、終盤になって、何もやってこなかったことに後悔する人もいる。

たとえ寿命が2,30年縮んだとしても、それ以上に人生の密度が充実すればそれはそれでアリなのかもしれない。