弁膜症患者の日記

僧帽弁閉鎖不全症(前尖の逸脱症) を治療する過程

病気を診断されて起きた心理変化

弁膜症を診断され落ち込んでから、無意識的に、周囲との比較をやたらとするようになった。

例えば、YouTubeの放送で人生相談をやっているのを見ていて、会社での出世について悩んでいる人がいた。

いやーそんなの命に別状ないし、くだらない・・・などと思ってしまう。

 

今の自分の命がかかった状況と比較してものごとをとらえてしまう変な癖みたいなものがついたようだ。

 

これはポジティブな面もある。

例えば自分よりも死亡リスクの高い手術や苦痛度の高い病気の話を聞くと、自分はそれに比べてマシな方だと安心できる。

 

 

幸せの度合いは、状況の相対的な変化量によって決まると昔から考えていたが、強烈な相対的変化がいざ自分にふりかかると、強烈にそれを実感する。

今自分は人生の谷にいるわけだが、そこから周りの日常を見渡すと、すべてが以前よりも輝いて見える。会社の出世で悩んでいる人すら、羨ましく思える。

 

そういう意味で、変化量が下降傾向である今が一番辛い時期なのかもしれない。これから病気が快方に向かえば、何気ない日常にとても幸せを感じる日がやってくるのだろう。

 

アニメや映画を観ていても感動のポイントが変わったりするので面白い。

気晴らしに『日常』というギャグアニメを観ているが(病気になってからもう2周も観ている)、登場人物の一人「なの」という少女は、外見は普通の女子高生だが、背中に大きなネジが刺さっており、ロボットとばれることを恐れて周囲の目を気にしている。普通の人間になれないことに悩みを抱えている。

周囲の友達も最初はロボットではないかと疑いの目を向けるが、次第にそれも彼女の個性の一部として認めていく。遂には彼女もその悩みを捨てて、その障害を自分の個性として受け入れる。

まあ、そういうベタな感動シーンなんだが、なぜかボロボロ泣いてしまう。

 

これを書いている今も、なぜか涙が止まらなくなる。たぶん心が不安を解消したがってるんだろうと思う。

 

こんな心理的な変化が起こることは人生でも1度あるかないかくらいだとおもう。