弁膜症患者の日記

僧帽弁閉鎖不全症(前尖の逸脱症) を治療する過程

症状の進行具合

弁膜症を発症してから約1ヶ月がたった。

最初のうちは散歩は15分くらいは普通にできていたが、2週間後では5分くらいで息が上がるようになった。

明らかに症状が悪くなっているのが分かってショック。

さらに、一度息が上がると5分~10分ほど心臓のバクバクが強くなる。

このペースでいけばあと1ヶ月もすれば平常時での呼吸困難とかになりかねないのでは、という不安が。。

 

軽くググった限りでは進行を遅らせる薬もあるみたいなんで、今日の医者との面談で聞いてみる。

 

今日の面談ではできたら家族も呼ぶように言われているので、重要なことが伝えられるのかもしれない。

 

すでに弁膜症についてはかなり調べているから、これ以上ショックな事実はないと信じたい。

 

 

病気を診断されて起きた心理変化

弁膜症を診断され落ち込んでから、無意識的に、周囲との比較をやたらとするようになった。

例えば、YouTubeの放送で人生相談をやっているのを見ていて、会社での出世について悩んでいる人がいた。

いやーそんなの命に別状ないし、くだらない・・・などと思ってしまう。

 

今の自分の命がかかった状況と比較してものごとをとらえてしまう変な癖みたいなものがついたようだ。

 

これはポジティブな面もある。

例えば自分よりも死亡リスクの高い手術や苦痛度の高い病気の話を聞くと、自分はそれに比べてマシな方だと安心できる。

 

 

幸せの度合いは、状況の相対的な変化量によって決まると昔から考えていたが、強烈な相対的変化がいざ自分にふりかかると、強烈にそれを実感する。

今自分は人生の谷にいるわけだが、そこから周りの日常を見渡すと、すべてが以前よりも輝いて見える。会社の出世で悩んでいる人すら、羨ましく思える。

 

そういう意味で、変化量が下降傾向である今が一番辛い時期なのかもしれない。これから病気が快方に向かえば、何気ない日常にとても幸せを感じる日がやってくるのだろう。

 

アニメや映画を観ていても感動のポイントが変わったりするので面白い。

気晴らしに『日常』というギャグアニメを観ているが(病気になってからもう2周も観ている)、登場人物の一人「なの」という少女は、外見は普通の女子高生だが、背中に大きなネジが刺さっており、ロボットとばれることを恐れて周囲の目を気にしている。普通の人間になれないことに悩みを抱えている。

周囲の友達も最初はロボットではないかと疑いの目を向けるが、次第にそれも彼女の個性の一部として認めていく。遂には彼女もその悩みを捨てて、その障害を自分の個性として受け入れる。

まあ、そういうベタな感動シーンなんだが、なぜかボロボロ泣いてしまう。

 

これを書いている今も、なぜか涙が止まらなくなる。たぶん心が不安を解消したがってるんだろうと思う。

 

こんな心理的な変化が起こることは人生でも1度あるかないかくらいだとおもう。

 

 

弁膜症の精密検査の結果

弁膜症発症から4週間後、運動エコー検査を行った。

結果、逆流レベルは4段階中最悪で、早めの手術が必要と言われた。

 

これには焦った。

弁膜症は基本ゆっくり進行するため、調べたり、セカンドオピニオンをもらったり、主治医を探したりする時間がとれると思っていた。

 

そういえば、弁膜症が発症したあの日から4週間ほどで、心音の音も大きくなった気がする。最初はじっとして背中を背もたれにくっつけて聞こえる程度だったが、今では普通にしてても聞こえる。たまに胸痛もするようになった。

 

弁膜症の症状の悪化について調べてみると、最初は心音ノイズや動悸だけだが、次第に胸痛、呼吸困難、失神が現れるらしい。

自分は今胸痛が出始めた段階だから、じきに呼吸困難がではじめてしまう。そうなると、緊急で手術ってことになりそうだがこれは怖い。

 

さらに医者が言うには、今の状態でインフルエンザなどに感染すると重症化するとのことで、自分が結構危ない状態なのではないかという不安が加わった。

友達と飲む約束をしていたがそれもキャンセルし、食事も出前をとり、外出を避けるようになった。

 

いろんな不安が重なって、食欲がなくなってしまった。ただでさえ、運動ができずお腹がすきづらいのに、精神面でもお腹が空きづらくなってしまった。

自分はもともと痩せ型なのに、これ以上痩せると術後がやばい。

 

考え込むほど不安が大きくなるので、病気のことを考えるのは楽しいアニメを観たり、オンラインゲーム友達と会話をしている最中だけにするようにした。特に寝る前に調査して暗い内容がでてくると不安で眠れなくなる。

 

しかし、同時に、手術が急がれる状況の中なので、情報収集も急ぐ必要がある。

今は不安と戦いながら、すきを見て病気の情報収集をがんばっている、という状況です。

 

 

 

 

 

 

 

心臓弁膜症になった

2019年11月のある日の深夜のこと。

突然、動悸が断続的におきて、驚きのあまり、ガッと椅子から立ち上がった。

心臓から今まで聞いたことない音がして超絶焦った。

心臓のバクバク感が止まらず、今から死ぬのではないかと思った。

怖くなって救急外来に。

その日は何も見つからず帰宅。

 

しかしその日を堺に心音のノイズとバクバク感が常にするようになった。動悸の頻度も格段にあがった。

そしてちょっとした散歩でも息切れと心臓バクバクで立ち止まってしまう。

 

2週間後エコー検査。弁膜症の疑いがあると言われた。

 

帰宅後、この病気について軽くググると、手術が必要とはいえ治療法が確立しているとのことで、そこまで落ち込まなかった。

外科的な病気ということはケガと同じで、心臓の弁さえ直せばまた元通りの生活が戻るという印象。そして、がん患者などと違って吐き気と闘うとかそういう苦痛もなさそうだと思った。

この時点では、そこまで深刻な病気だと思っていなかった。

 

しかし、よくよく調べてみると、障害者第一級とか死亡率とか、強烈なワードが出てくる。血の気が引いてきた。

手術に成功してもその後の余命の長さにかなり影響を与えるような数値もでてきて、いよいよ言葉にならない絶望感が沸き起こってきた。

80歳までは生きたいと思っていたが、どうやら60歳くらいまで生きられればいいほうなのかもしれない。。

 

 

それ以上は調べるのがキツくなった。

その日は、気が滅入ってしまってなかなか寝付けなかった。

眠りにつく時、自分のおかしくなった心臓の音が聞こえてくる。健常者だったころよりも強く鳴り響く心臓の音が邪魔してなかなか眠りにつけない。

 

一体自分の何が悪かったのか、ベットの中で考え込む。

しかし考えても何も答えは見つからない。

弁膜症は医学的に原因不明。自分の生活習慣が原因ならまだ納得はいくが、そこまで特殊な生活をしていたということはない。

宝くじの当選確率みたいにウルトラレアな病気が、なぜよりによって自分に・・・。

 

納得のいく理由が見つからないので、次第にオカルト的な妄想が始まった。

自分は昔からシミュレーション仮説という世界観を信じており、そういう世界観を前提とする神の存在は信じている方だった。

 

もし神がいたとして、自分は排除すべき存在なら、弁膜症などという中途半端なことやらずに心臓発作とかで殺していただろう。ということは、少なくとも直ぐに排除すべき存在ではなく、何かの意図があるのではないか。私は何か神の禁忌に触れようとしているのか・・・!?

そんな中二めいた推測も真面目にやっていた。

 

そういえば、2年ほど前に会社を辞めて、最初は夢や目標に向かって生産的な活動をしていた。しかし最近はダラダラした生活が極まっていた。

それが原因なのか!?

わかった。では約束しよう。完治すればそれらの活動を真面目に再開すると。

 

しかし、そんなオカルトな妄想をせずとも、手術が終わって元の生活が戻れば、残りの人生の密度はこれまでの数倍に跳ね上がると思う。

それほど、これまでの人生で、自分の残りの命について真剣に考えたことがなかったということだ。

 

だから、一概に病気になって寿命が縮んだことが悪いとは言い切れないかもしれない。一生病気にならなかった場合、堕落した生活が続いて、そのまま山も谷もない人生を送り、終盤になって、何もやってこなかったことに後悔する人もいる。

たとえ寿命が2,30年縮んだとしても、それ以上に人生の密度が充実すればそれはそれでアリなのかもしれない。